今は支援学校の中学3年生ta-san
3年前に強度行動障害と言われ
papaと二人でがんばって来ました
そんな3年間を思い出し記録しています
少しでも親御さんの役に立てばと思います
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papaとta-sanは先生にとても恵まれた
ta-sanの事を知っているのに
ハグしてくれたり
優しく肩を抱いてくれたり
給食を投げるのでパーテイションで囲ってスプーンで叩かれながら食べさせてくれた
顔を叩かれるのに代替え行動としてハイタッチをいつもやってくれていた
病院にも何度も来てくれて
帰りが少し遅くなっても、慌てないでください私、見ていますからと言ってくれた
そんな先生達のスネは、痣や血がにじんでいた
すいません、すいませんと謝ると
こんなの大したことない
もう謝らないで下さいと言ってくれた。
精神科医がta-sanもう入院させましょう、
ta-sanとpapaの限界が来る前にと言われ、申し込み書を渡された。
どうしても書けなかった
ta-sanのせいでわ無く、親のせいなのに
何度もペンを握ったけど、悲しくて情けなくて
書けなかった。
学校の先生に相談した、どうしても書けないんですと
先生は、
何も言えない、ただta-sanとpapaを出来る限り支援すると言ってくれた。
(この頃わ余りにも無知で、今思うとta-sanに可哀想な事をしたと思う、入院させてあげれば良かったと思う事もあります、混乱して苦しかったろうに)
そんな先生達を少し批判したりすることもあった、(自閉症児で言葉のわからない子にそんな指導がいるのか ta-sanが心配で心配で )
先生は言ってくれた、
自閉症児で言葉の無い子でも、同じ人間です
大人が、子供達に、良い事悪い事をちゃんと示していきましょうと
そんな先生達と、ちょっと出くわした時に今のta-sanの事を少し話すと涙を溜めながら
嬉しいですと言ってくれる
ta-sanの先生達
命の恩人です