私は、ta-sanのpapa
弱虫シングルファーザーです
ta-sanは、今、15才
特別支援学校へ通う
重度知的障害児の高校1年生、男の子
拘り、不安、強めです
文字や数字は、理解していない様ですが
名前の漢字は、マークとして自分の物と
分かっている様です
後は、絵のカードじゃないと
わかりません
数字も、字は分かって無い様ですが
10ぐらいまでの、数は、操作ができる様です
お散歩などで、「車は、何台」と聞くと
10台までなら、指を出し、合っています
「飴を、二つ取って」と頼むと
二つ、持ってきます
自閉症で
薬物治療、調整中です
また
親の過ち、環境の悪さで、5年前に
沢山の、二次障害も持ちました
他害、自傷、強い破壊行為
強度行動障害です
こちらも、薬物治療、調整中
現在、様々な部分は、軽減しています
5年前に、私達親が、ta-sanの
幼く、小さな小さな、汚れ無い
心と体に傷をつけ、壊してしまいました
虐待です
暴言で、怒鳴られ、否定され続け
痣が、しばしば有りました
十歳の時、壊されてからのta-sanは
起きている間
錯乱し、酷い顔つきで、獣の様に暴れ
他害、物投げ、破壊行為に明け暮れ
自傷を行いました
コミニケーション能力が低く、知的が低い場合
言葉として、感覚を求めて、苦痛から
ストレスの増大から
自傷を行う事は、私も知っています
しかし、ta-sanの自傷は
その、どれでも有りません
ta-sanは、死を求めていました
毛をむしり、ボーズになって
爪を剥ぎ、無くなれば
死ねると思っていました
ta-sanは、重度知的障害で
字や、数字も分からないし
生活面は、介助が沢山執拗ですが
感受性は豊かで、人の心を読み
優しさも、沢山持ち合わせています
二次障害が出る前は
泣いている人がいれば、そばに寄り添い
手をさすり
小さな子に、どんなに、しつこくされても
ニコニコしていました
誰かが、物を落とせば
拾って、渡し
お葬式では、何故か
泣いて
私の、亡くなった、弟の写真を見ては
涙を流します
優しさに満ちた、不思議な子でした
ある日、小児癌のテレビを見ていました
毛が全部抜け、頑張ったけど、親子共苦しんで
その子は、亡くなった話でした
ta-sanに、「死」というものが
どんな風にうつり、分かっているのかは
分かりませんが
毛が無くなれば「死ぬ」と、分かり
そして、死ねば、苦しみから逃れられると
理解している様に思えました
それを、実行している、自傷を見ているのが
物凄く辛かったです
その都度、薬物治療、調整が行われましたが
どの、障害、病状にも、薬物が効いた事は
無く、改善はありませんでした
先々の事、障害の事、精神病の事など
何も分からない私は
児相を始め、あちこち相談しましたが
どこも、電話を切られ、孤独でした
豹変し、大人を跳ね飛ばし、人を恐れて
獣の様に襲いかかり、悶えながら
暴れるta-sanを見た
ta-sanの精神科の主治医が
ta-sanの状態も、当然ですが
私の顔色と、言動を見定め
私の事を心配し
ta-sanの精神科入院を決めました
しかし、感受性豊かな
ta-sanを、今、私から離せば
取り返しのつかない様な感が働き
どうしても、入院の申し込みができず
涙を呑み込みながら、拒否をしました
精神科の主治医は、懸念をしましたが
それを受け入れてくれ
役所や、学校などに、「最大の支援を」と
電話してくれました。
しかし、当然、心配はしてくれますが
直接な支援は、有りませんでした
もう私は、獣の様に唸り、暴れる息子と
引き篭もる事しかできず
その、介護で、仕事も何もかもが
出来なくなっていたので
精神科の主治医は
医者が騒げば、生活保護などにも
結びつくのでは、とか、考えてくれた様です
とにかく、一家心中にならぬ様に
拒否をした私に
ta-sanを見た、精神科主治医は
いつでも、電話しなさい
入院の申し込みを、すぐに受け付けますからと
言ってくれました
苦しむ、ta-sanに
私は、何も出来ず、してあげられず
自分が情けなく、途方に暮れ
自分を、呪いました
情け無く、逃げたい気持ちも湧きました
いつもいつも、噛み跡、強打のアザだらけで
家の中で靴を履き、生活して
汚物と、撒き散らされた残飯と
破壊された、ガラスやらテレビやら
残材の中での、生活
本気で、死にたいと思いました
夜が明け、明るくなると、雨戸を閉め
服のまま眠り
陽が落ち、暗くなったら、這い出る様な
生活もしました
多動と、泣き喚きながら崩れ
ガードレールを乗り越え
崖から飛び降りようとするta-sanを
抑えながら、思いました
どうせ死ぬなら
限界までやって、それでもダメなら
死のうと思いました
教えてもらった事も、見た事もないのですが
ta-sanが寝静まると、布団をかぶり
参考書、ネットを見て
自分で、療育を組み立てました
二次障害で出た、人間への恐怖心、恐れ
幻覚、フラッシュバックを、避ける為
昼間は寝かせて、誰も居ない夜の公園で
沢山遊び、大型遊具などで療育しました
真冬の、夜の公園は寒くて、凍えましたが
ta-sanは、遊具で、確かに自信を積み重ね
ました
一つの遊具を達成した時、顔つきが変わった
瞬間を覚えています
凍える様な寒さでしたが
真っ暗な公園で、時折、緊張が緩み
にこやかな顔のta-sanが、愛おしくて
そっと、体を寄せ合い、寒さを凌ぎました
抱きしめた、ta-sanは
良い匂いで、あったかくて、素敵でした
愛を抱いた感覚、そのものでした
どうしても、ta-sanを助けたい
精神科医から、難しいと言われた
二次障害、強度行動障害を止めようと
ABA、暴露療法、タイムアウト、罰、を使って
療育を組み立てました
療育といっても、躾的な事が全般で
まるで、障害児を虐待している様にも
感じました
療育のセオリー通り、ta-sanの内面を見ない様
心がけ、自分の感情も押し殺しましたが
可哀想で、私の心は、病みました
また、殺気を感じる程、向かって来る他害に
トラウマも付き、ビクビクする時も有りました
コミニケーション能力が低く
他害、癇癪を強化され、言葉の様に使い
強度行動障害、二次障害を色濃くして行く
重度知的障害児の息子に教える意味が有るのか
いけない事が分かり、治る日が来るのか
先など全く見えず、情け無くも、怯え
悶え狂い、叫び、涙する毎日でした
先の見えない恐怖は、自分の中での戦いでした
頑張って、やっても、やっても
褒めても、褒めても、褒めても
苦しみだけが、襲って来ました
それでも、絶対に
他害と、癇癪、自傷には、屈しないと決め
躾、療育を行い
良いのか、悪いのか、分からず
もっと、ta-sanを壊してしまわないか
不安の中
戦いました
小さな胸の、ta-san
どんなに苦しかっただろうか?
ta-sanは、文字や数字など
学力は、すごく低く
コミニケーション、見通しも
取れませんでしたが
毎日の言葉かけを大事にして
お散歩や、どの場面でも、指差し、言葉かけを
繰り返し、かけ
こうだろうと思う、ta-sanの
気持ちの代弁を繰り返し行なってきて
今も、数字、文字は分かりませんが
この頃
少しですが、会話が成り立ち
自分の思っている事が、話せたりしています
それで、先日
お風呂に入っている時
突然、ta-sanが、ポツリと言いました
ニッコリした顔で
恥ずかしそうに
.........「お父さんと、生活して良かった」って
命が消えかけても、いつも2人で居て
泣いて、泣いて、崩れたけど
暗い夜も乗り越えてきたよね
どこへ向かえば良いのか、思い悩みながらだけ
ど
初めて出会い、君を抱きしめ、誓った時の様に
寒い冬の夜も、乗り越えてきた様に
強く生きるよ
私の心は、幸せだと震え
幸せの涙が溢れ、頬を伝って、いっぱい流れま
した
狂おしく、がんばる君
そんな君が、papaは、狂おしく大好き
2匹の鯉のぼり
逸れず、およごう!
本当に、居てくれて
ありがとう
そんなta-sanが
大好き